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岡山地方裁判所 昭和42年(レ)14号 判決

昭和四一年(レ)第六八号事件控訴人

同四二年(レ)第一四号事件附帯被控訴人(以下控訴人という) 国

右代表者法務大臣 小林武治

右指定代理人 山田二郎

〈ほか三名〉

昭和四一年(レ)第六八号事件被控訴人(選定当事者)

同四二年(レ)第一四号事件附帯控訴人(以下被控訴人という) 神坂哲

主文

一、本件控訴を棄却する。

二、原判決第二項以下を左のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し金四万〇八二六円および内金八二六円に対する昭和三六年三月三一日から、内金四万円に対する昭和四〇年一〇月一三日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は本訴、反訴および控訴、附帯控訴とも第一、二審を通じてこれを七分し、その四を控訴人の、その余を被控訴人の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

第一、本訴請求について

一、争いのない事実

被控訴人は、昭和二四年一一月肺結核の発病により旧生活保護法(昭和二一年法律第一七号)による医療扶助の被保護者として当時の指定医療施設たる日本医療団早島光風園へ入院し、その後昭和二五年四月に同園が国立岡山療養所へ統合されると共に、引き続き現行生活保護法(昭和二五年法律第一四四号)による医療扶助の被保護者として指定医療機関たる同療養所において昭和三二年三月まで入院治療を受けていたが、昭和二七年一二月より医療費一部負担金の支払義務を課せられたこと、未納医療費(金額、納期は別)につき、納入告知を受けたこと、最終診療月である昭和三一年二月分医療費の納期限が同三一年五月三日と定められたことは当事者間に争いがない。

二、本訴医療費の存在

≪証拠省略≫を総合すると、昭和二八年四月より昭和三一年二月までの期間に被控訴人が支払義務を負う医療費の総額は少くとも四万四五五三円(その各月別内訳は、別紙(二)未納医療費明細表記載のとおり)であることが認められる。

もっとも、前記乙第二(国立岡山療養所医療社会事業係より被控訴人宛昭和三一年二月一三日付「医療扶助の変更について」と題する書面)、三(岡山地方事務所長より神坂てる代宛昭和三一年二月三日付保護変更通知書)号証によれば、被控訴人に関する昭和三一年一月分医療費一部負担金の額は保護の実施機関により一五二四円と認定されたことが認められるにもかかわらず、前記甲第五号証の二(被控訴人に関する国立岡山療養所昭和三〇年度分自費台帳)には同月分の徴収決定額二九七一円との記載があり、同様に前記甲第一四号証(岡山県和気福祉事務所長より国立岡山療養所長宛昭和四一年六月一七日付回答書)によれば、被控訴人に関する昭和三〇年一〇、一一月分医療費一部負担金認定額はそれぞれ一七七八円、一六九三円であることが認められるにもかかわらず、前記甲第五号証の二にはこれが入れ替って記載されており、また前記甲第七ないし第一〇号証の各一、二(被控訴人に関する昭和三二年度より昭和三七年度に至る国立岡山療養所各債権管理簿)を見ると、必らずしも債権管理法(昭和三一年法律第一一四号)、同法施行令(昭和三一年政令第三三七号)、債権管理事務取扱規則(昭和三一年大蔵省令第八六号)等の諸法令の定める準則に忠実に従った記載のなされていないことが窺われるが、これらの事実は未だ部分的な誤記もしくは記載洩れに類するものであって、本訴医療費の存在およびその金額に関する前記認定を全面的に左右するには至らないというべきである。

三、消滅時効の抗弁について

(一)  抗弁(一)(1)について(医療費一部負担金の法的性質)

生活保護法による医療扶助の受給者が支払義務を負ういわゆる医療費一部負担金(以下一部負担金という)は、抽象的には被控訴人が一部負担金支払を課せられるようになった昭和二七年一二月から、右支払義務を免除され再び全額医療扶助を受けるようになった昭和三一年三月(右の事実は当事者間に争いがない)の前月たる同年二月までの間適用されていた生活保護法による保護の基準(昭和二七年五月二〇日厚生省告示第一一四号、昭和二八年七月一日同省告示第二二六号、以下保護基準という)別表第4、1、に定める「生活保護法第五二条の規定による診療方針及び診療報酬に基づきその者の診療に必要な最少限度の実費の額」中、保護の実施機関により本人が支払義務を負うべきものとして認定された部分をいうことになるが、成立に争いのない乙第六五号証によれば、実際の行政取扱上は「当該要保護者の属する世帯の収入充当額から当該世帯の医療費を除く最低生活費を差し引いた額」をもって本人支払額とする旨解釈され、かつ運用されていることが認められるので、具体的には前記各保護基準により測定された最低生活費中日常衣食生活費、住生活費等に充当された後、なお医療費に充当しうるものとして計算された金額がこれにあたることになる。

ところで、一部負担金については生活保護法自体は何ら規定を設けておらず、同法五二条一項が「指定医療機関の診療方針及び診療報酬は、国民健康保険の診療方針及び診療報酬の例による」と定めているので、国民健康保険法上の被保険者が療養取扱機関より療養の給付を受けるに際して支払義務を負担する一部負担金に関する諸規定が包括的に準用されることとなる。そこで、同法についてこれをみると、一部負担金は原則として、いわゆる「窓口払」として被保険者が療養取扱機関に直接支払うべきものとされ(同法四二条一項)、一方療養取扱機関は右一部負担金の受領責任がある旨定められている(同法四二条二項)。したがって、療養取扱機関が療養の給付に要した費用として保険者に請求することができるのは、当然右一部負担金に相当する額を控除した残余の部分についてである(同法四五条一項)。そして、被保険者が一部負担金を支払わない場合、療養取扱機関が「善良な管理者と同一の注意」をもって支払を督促したのになおその支払が得られないときは、保険者は療養取扱機関の請求に基づいて同法による徴収金の例により徴収したうえ(同法四二条二項)、これを療養取扱機関に交付することになるが、右徴収には行政上の強制徴収の手段が認められている(同法七九条の二、地方自治法二三一条の三、三項)。しかし、療養取扱機関は右請求をなすべき義務を課せられているわけではなく、また国民健康保険法八〇条二項の規定も療養取扱機関自体に行政上の強制徴収権を認めているものでないことは明らかである。(右規定は、本来市町村が保険者として実施すべき国民健康保険を行なわない場合、これに代るべき保険者としての公共組合たる国民健康保険組合に対し最終的に強制徴収権を認めたものである)から、この点において農作物共済掛金や土地改良区の賦課金の滞納の取立につき、農業共済組合や土地改良区が最終的に行政上の強制徴収権を有している(農業災害補償法八七条の二、土地改良法三九条五項)のと異なるところである。そうすると、国民健康保険法上の一部負担金に関する療養取扱機関と被保険者間の法律関係は公法上の債権債務関係でないと解するのが相当であり、国民健康保険における一部負担金と生活保護に基づく医療扶助における一部負担金は、前者が専ら濫受診を抑制すると共に、社会保険財政の基礎を維持する目的から、後者は保護の要件としての補足性の原則(生活保護法四条)、必要即応の原則(同法九条)等生活保護制度の本質上要請される基本原則からの帰結として、それぞれ設けられたものであってその基礎は相異なるものであるが、医療扶助における一部負担金に関する指定医療機関と被保護者間の法律関係も同一に解することを妨げるものではないというべきである。

なるほど、一部負担金の額の決定、変更等は、前記の如く行政庁たる保護の実施機関により保護の決定、変更、廃止(生活保護法一九条一項、二四条一項、二五条一、二項)等の行政処分により決定されるのであり、これらの決定に先立ち必要がある場合には資力調査(同法二四条三項)、資力調査のための立入権(同法二八条一項)等が認められていることに照すと、保護の実施機関と被保護者間の法律関係は公法上の不対当者関係と解しうる余地もないではないが、右の関係が直ちに指定医療機関と被保護者間の法律関係に影響を及ぼすものとはいえない。さらに、成立に争いのない乙第三四、三五号証によれば、国立療養所入所規定(昭和二六年一〇月九日厚生省告示第二一七号)第五条、国立療養所入所費等取扱細則(昭和二六年一〇月一六日医発第六三二号厚生省医務局長通達)第一条第二項は、医療費の支払が困難であることを市町村長等が証明した場合は、国立療養所長は軽費又は無料の措置をとることができる旨定めているが、その対象者は法令による保護を受けることができない者に限定されていることが認められ、生活保護法による医療扶助の受給者がこれから除外されることは明らかである。しかし、右各規定の趣旨は、本来医療扶助受給者の一部負担金の額は保護の実施機関が収入認定を行なってこれを決定すべきものであるから、保護の実施機関より委託を受けて医療の給付を行なうに過ぎない指定医療機関(生活保護法三四条二項)が診療報酬を審査機関へ請求するにあたり主張できる意味での減免措置を行なうことができないことを定めている点にあり、これとは関係なく私法上の債権債務関係としてその減免をなすことを妨げるものではないと解される。また、医療扶助が指定医療機関を通じて行なわれる場合、右医療機関の選定はまず保護の実施機関がこれを行なうものと解されるが(生活保護法二七条一項)、医療機関に対する信頼は医療効果の大前提であることを考慮するならば、むしろ医療扶助受給者は原則として医療機関選択の自由を有しており、保護の実施機関の有する指導、指示権をもってしてもこの自由に干渉することはできないと解すべきであり(同法二七条二項)、乙第六五号証によれば、実際の運用上は指定医療機関選定に関する受給者の希望は、参考程度に取扱われていることが認められるが、右の一事をもって前記結論を左右するには至らない。なお、国立療養所が一種の公営造物であることはいうまでもないが、その利用関係の法的性質は個々の実定法の趣旨目的に照して決定するほかなく、前記の如く国立療養所は一部負担金の強制徴収権を有せず、また国立療養所へ入所する際医療扶助受給者の自由意思が原則として認められること、および生活保護法四九条一項による指定医療機関は国立療養所に限定されてはいないこと等を考えると、国立療養所において療養を受ける場合の法律関係の性質は公法上の権利関係ではないと解するのが相当である。

結局、以上の検討によれば本訴医療費が公法上の債権であるとする被控訴人の主張は未だその根拠に乏しいものと言わざるをえない。そして会計法三一条は公法上の債権に限って適用されると解すべきであるので、抗弁(一)(1)については、その余の点について判断するまでもなく理由がないものと言わなければならない。

(二)  抗弁(一)(2)について(本訴医療費の消滅時効の起算点等)

本訴医療費は公法上の債権と解すべきでないことは前記のとおりであるが、本件のように国の開設した国立療養所自体と医療扶助受給者との間に医療関係が成立しており、医療の給付をなすことにより国が有するに至った債権も民法一七〇条一号にいう「医師ノ治術ニ関スル債権」にあたるか否かが規定の文言上は明らかでない。しかし、特にこれを異なった取扱いに服せしむべき理由は存しないから、本訴医療費には同条の適用を認めるのが相当である。

そこで、本訴医療費の消滅時効の起算点について判断する。≪証拠省略≫によると、本訴医療費について国立岡山療養所歳入徴収官が別紙(二)未納医療費明細表記載のとおり(一部の告知金額に違いある点は別として)各月分毎に履行期限を定めて納入告知を行なったことを認めることができ、格別反対の証拠はない。ところで、歳入徴収官は納入告知をする場合、法令その他の定めがある場合を除き調査決定の日から二〇日以内において適宜の納付期限を定めるべきものとされているが(昭和二七年大蔵省令第一四一号歳入徴収官事務規定第一八条第一項)、本訴医療費に関する特則は他に存しないから右規定の適用があると解すべきところ、前記各履行期限は別紙(二)未納医療費明細表記載の各月分調査決定の日からそれぞれ一九日ないし二〇日以内にあることが明らかであるから、控訴人は本訴医療費の各月分につきこれに対応する各履行期限の到来毎にその権利の行使が可能になったということができる。そして、本訴療養中最終診療月たる昭和三一年二月分一九〇円の医療費の履行期限は同年五月三日であり、≪証拠省略≫によれば、同日以降に控訴人が本訴医療費を含む四万七三二六円の未納医療費につき納入告知をなしたのは昭和三四年一二月八日が最初であったことが認められるから(もっとも、右納入告知は被控訴人の母神坂てる代宛なされたものであることは当事者間に争いがなく、同人が被控訴人の身元引受人ではあるが連帯保証人でないことは後記判断のとおりであるから、これが果して納入告知にあたるか否かは疑問であるが、仮にこれを肯定するとしても)、その間に三年以上を経過していることが明らかであり、したがって右一九〇円の医療費は昭和三一年五月四日より消滅時効が進行し、三年を経過した昭和三四年五月三日の満了とともに時効が完成したものといわなければならない。そうすると、履行期限がすべて昭和三一年五月三日以前に定められているその余の診療月分各医療費が遅くとも昭和三四年五月三日以前にそれぞれ時効が完成したことは当然である。

よって、抗弁(一)(2)は理由がある。

四、時効援用権喪失の再抗弁について

(一)  昭和三四年一二月二四日頃の支払猶予懇請について

国立岡山療養所代理歳入徴収官たる同療養所々長が、昭和三四年一二月八日付の文書をもって被控訴人の母神坂てる代宛被控訴人の入院中の未納医療費合計四万七三二六円を同三五年一月一五日までに支払うよう督促したところ、被控訴人が同三四年一二月二四日頃右医療費につき支払猶予を懇請する旨の書簡を所長宛送付したことは当事者間に争いがない。

ところで、≪証拠省略≫によれば、医療扶助による診察、投薬、医学的処置、手術等の診療の給付は保護の実施機関が発行する「医療券」により行なわれ、しかも右医療券は歴月を単位として各月毎に発行されることになっている(被控訴人のように医療扶助が長期間にわたって継続する場合も同様の取扱がなされる)ことが認められる。そして、指定医療機関は有効な医療券を所持する患者の診療を正当な事由がなく拒むことは許されず(昭和二五年八月二三日厚生省告示第二二二号指定医療機関医療担当規定二条)、また同機関は各月に行なった医療につき診療報酬請求および同明細書を作成して翌月一〇日までに当該都道府県知事の指定する医療定の審査機関に提出すべきものとされている(生活保護法施行規則第一七条第一項)。一方、≪証拠省略≫によれば、国立岡山療養所においては、各月に医療扶助受給者に対して行なった医療につき同人が一部負担金支払義務を負う場合毎月庶務課医事係において、具体的な徴収額を算定のうえ同課会計係へ通知し、同係は右金額につき納入告知を受給者家庭へなし、実際の支払も各月毎になされていることが認められる。

そうすると、本訴医療費中、各診療月分の医療費は一箇の基本的法律関係より派生する支分権的な権利ということはできず、各月分毎に独立した債権と解するのが相当である。しかも、前記甲第一一号証によれば、国立岡山療養所々長のなした催告の内容は、「昭和二八年より昭和三一年にわたる未納医療費額四七、三二六円」という包括的なものであって、各月分内訳を明示しておらず、また金額も控訴人が本訴において請求している金額より二七〇〇円余も上廻るものであったことが認められる。そのうえ、≪証拠省略≫によると、被控訴人は請求をうけた一部負担金に相当する医療費の内容に疑問をもっていたのと、一部負担金自体甚だ苛酷不当なものでなるべくこれを払わないですませたいと思っていたけれども頼みにしていた消滅時効完成の主張も容れられそうになかったのとで、急な取立を免れるため一時言いのがれの趣旨で前記回答におよんだことが認められるから、抽象的な被控訴人の前記支払猶予の懇請をもって、直ちに本訴医療費債務の存在を認めて支払の猶予を求たものと解することはできず、右懇請にかかわらず後日なされた消滅時効の援用が信義則に反し許されないということもできない。

よって、再抗弁(1)は理由がない。

(二)  昭和三五年三月一五日の一部弁済について

≪証拠省略≫によれば、被控訴人の母神坂てる代は昭和三五年三月七日被控訴人に相談することなく自分ひとりの考えで、国立岡山療養所職員の出張督促に対し被控訴人の未納医療費の一部として五〇〇円支払い、同月一五日付で同療養所債権管理簿上入金扱いとされたことが認められ、右認定に反する証拠はない。右事実によると、神坂てる代は被控訴人の母として徳義上右金員を支払ったもので、被控訴人の代理人若しくは使者として支払ったものでないことが認められるから、被控訴人が一部弁済したという控訴人の主張は採用できない。なお後に認定するようにてる代は被控訴人の単なる身元引受人で保証人ではないが、かりに保証人であるとしても、同人のした弁済は主債務の承認があったかどうかの点については主債務者たる被控訴人に影響のないことである。よって、てる代のなした五〇〇円の一部弁済は被控訴人の時効援用権喪失事由としての債務承認にはあたらないというべきであり、再抗弁(2)は理由がない。

(三)  昭和三六年三月二七日の一部弁済について

≪証拠省略≫によれば、神坂てる代は昭和三六年三月二三日被控訴人不知の間に同人に相談することなく国立岡山療養所職員の出張督促に対し被控訴人の未納医療費の一部として八二六円を支払い、同月二七日付で同療養所債権管理簿上入金扱いとされたことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫

しかし、右事実が被控訴人の時効援用権喪失事由としての債務承認にあたらないことは、前記(二)において判断したところと同一である。よって、再抗弁(3)も理由がない。

(四)  昭和三六年四月一日の分割払約定について

被控訴人が、昭和三六年四月一日国立岡山療養所債権管理官に対して四万六〇〇〇円の未納医療費につき、昭和三七年より同四〇年にわたる四回の分割払を約したことは当事者間に争いがない。

そこで、被控訴人が右約定をなすに至った経過について検討する。

≪証拠省略≫に前記争いのない事実を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 国立病院、同療養所等における患者の医療費、就中医療扶助受給者が支払義務を負う一部負担金は、昭和三二年当時適用されていた保護基準が低水準にあったことも関係して、その滞納が全国的に顕著な現象となるに至ったが、これに苦慮した厚生省では昭和三四年一〇月所管各機関の債権管理官宛、今後は債権管理法二四条ないし二七条に定める履行延期の特約に代えて、同法二八条に定める民事訴訟法三五六条の即決和解手続を積極的に活用することとし、滞納者より右手続によることの承認を取り付け、これにより債権の確保をはかられたい旨の通達を発した。

(2) 国立岡山療養所においても右通達の示した方針に従い、昭和三五会計年度の年度末にあたる昭和三六年三月には職員が分担で、督促を兼ねて一部負担金滞納者の家庭を訪問することになり、その一環として同年三月二三日庶務課医事係の窪田恒雄は岡山県和気郡備前町所在の神坂てる代宅に赴いた。被控訴人は、前年に神坂玲子と結婚し、大阪府堺市に居住して大阪市の某会計事務所へ勤務していたため不在であったが、窪田は神坂てる代を説得したうえ四万六〇〇〇円の未納医療費につき被控訴人名義の債務証書(昭和三六年五月一日より毎月一〇〇〇円宛の分割払約定を含む)、てる代名義の債務保証書および両名名義の岡山地方法務局長宛右金額につき即決和解を成立させることに同意する旨の承認書にそれぞれてる代の署名捺印(被控訴人の署名捺印代行も含む)を得てこれを持ち返った。しかし、てる代からの手紙でこのことを知った被控訴人は、直ちに同療養所庶務課長で債権管理官たる土居和夫宛「債務証書の無効確認について」と題する書面を送り、前記債務証書およびこれを前提とする債務保証書は被控訴人の全く関知せぬ間に作成されたものであるから無効であり、今後前記各証書の返還を受けぬ間は未納医療費に関する一切の交渉に応じることはできない旨通告した。

(3) 右通告に接して困惑した療養所当局は、急拠庶務課会計係長小橋澄男を堺市の被控訴人宅へ派遣することとなり、小橋は昭和三六年四月一日被控訴人宅を訪れ被控訴人および妻神坂玲子と面会し、改めて被控訴人自身による債務証書の作成方を要請した。右面談の当初、被控訴人は前記債務証書および債務保証書の返還を前提とし、小橋はこれに応じないところから話し合いは難行したが、小橋が切り札として前記即決和解手続の承認書を持ち出し、これをもって母てる代に対し強制履行の手段をとりうる旨ほのめかしたため被控訴人は動揺したものの(てる代より被控訴人宛の手紙には、右承認書の件について何も触れられていなかったので、被控訴人はそれまで右書面の存在を知らなかった)、なおも各月分の明細が明らかでないので四万六〇〇〇円の金額自体に疑問があることおよび仮に金額が正確であったとしても既に時効が完成している疑いがあることの二点の問題点を指摘して債務証書の作成を拒絶した。しかし、小橋は国立療養所における債権管理は日頃から十分に行なわれているから金額も正確であり、時効の進行も毎年中断措置がとられている筈である旨断言するとともに、金額明細は後刻郵送する旨約し、遠路岡山県より出張してきたことでもあるから兎に角債務証書に調印するよう強硬に迫ったので、被控訴人も止むなく折れて債務証書作成に同意するに至り、ただし、債務証書文中に後の調査により金額の誤りがあることおよび時効の完成していることが判明した場合にはこれらを利益に主張しうる旨の留保条項を挿入するよう要求したが、小橋は一定の書式に従い一律に作成される債務証書の性質上附加文言の挿入は不可能であるけれども、右留保条項の趣旨は国立岡山療養所と被控訴人との間における紳士協定としてよく了解しておく旨述べたことから、漸く未納医療費四万六〇〇〇円について前記四回の分割払を約した同療養所債権管理官宛債務証書に被控訴人が調印するに至った。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

右事実によれば、被控訴人が四万六〇〇〇円の未納医療費につき四回にわたる分割払を約したことは、債務証書中に各月分金額明細の記載がなく、また合計金額も本訴医療費と一七〇〇円余の喰い違いがあることから、前記(一)において判断したと同様本訴医療費に関する債務承認といえるか否か疑問の存するところであるが、仮にこれを肯定したとしても、被控訴人は本訴医療費につきなお時効援用権を失わないと解するのが相当である。けだし、時効の完成後、その事実を知らないで債務承認をなした債務者がその後時効の援用をなし得ないとされるのは、信義則にその根拠をおくものであって、一般に債務の承認と時効消滅の主張とは相容れず、相手方においても債務者はもはや時効の援用をしないものと考えるのが通常だからである(最高裁判所昭和四一年四月二〇日言渡大法廷判決民集二〇巻四号七〇二頁参照)。これを本件についてみると、被控訴人は債務証書に時効利益の留保条項を明記しなかったとはいえ、口頭により明確に右留保の趣旨を相手方へ伝えたうえ了解を得ているのであるから、その後時効完成の事実が判明したため時効の援用をなしたとしても信義則に反するとはいえない。

よって、再抗弁(4)も理由がない。

五、結論

そうすると、控訴人の再抗弁はすべて理由がなく、本訴医療費は時効消滅したとの抗弁は正当であることに帰するから、結局控訴人の被控訴人および選定者に対する本訴請求は失当として棄却すべきものである。

第二、反訴請求について

一、争いのない事実

控訴人の被用者たる小橋澄男が、昭和三七年一月一七日頃被控訴人がかつて国立岡山療養所長宛書き送った書簡の年月を改ざんするとともに、年号の記載を削除したものの写を被控訴人へ送付し、時効が中断されている旨回答したこと、昭和三七年二月以降に右書簡中の改ざん部分を更に旧に復すると共に、「国立岡山療養所昭和三四年一二月二四日付受付」のスタンプ印を押捺したことは当事者間に争いがない。

二、小橋澄男の不法行為

(一)  まず、小橋澄男が前記の如く書簡改ざん行為等をなすに至った経緯および右各行為の詳細な内容について検討する。

≪証拠省略≫に前記争いのない事実を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 小橋澄男は、厚生事務官として昭和二三年一月以来継続して国立岡山療養所へ勤務し、昭和三〇年四月庶務課会計係所属となり、昭和三四年四月からは会計係長として主に同療養所の債権管理事務に携わっていたが、前記(第一、四、(四))のとおり昭和三六年四月一日被控訴人を説得して未納医療費四万六〇〇〇円の分割払を約した債務証書の調印を得て同療養所へ帰るや、直ちに前記約定に基づき債権管理簿、自費台帳等を調査のうえ被控訴人に関する未納医療費各月分明細表(入金表も含む)を作成し、これを同年四月三日付で被控訴人宛送付した。なお、右調査の過程で、小橋は、被控訴人の未納医療費につき少くとも帳簿上は昭和三一年七月六日五〇〇円の一部入金があって以降昭和三五年三月一五日五〇〇円の一部入金がなされるまでの間に三年以上の期間が存することに気が付き、被控訴人の未納医療費は或は時効が完成しているのではないかとの危惧を抱いたが、その際は時効中断事由の調査等をしないまま放置しておいた。

(2) ところが、右明細表を受取った被控訴人は、やはり小橋同様、前記二回の一部入金の間に三年以上の期間が経過していることに注目し、早速他に時効中断事由が存しない限り時効完成の疑いがあり、債務証書調印の際了解済の時効利益留保条項を発動する余地もあるから、もし時効中断事由を証する証拠書類があったらその写を送付されたい旨の書簡を昭和三六年五月五日付で国立岡山療養所庶務課長土居和夫、会計係長小橋澄男両名宛送付した。小橋は右書簡を受け取り動揺したが、あえてこれを黙殺することに決めると同時に、他方被控訴人の未納医療費問題については前記債務証書を基礎にして国との間に即決和解を成立させ、債務名義を得てしまえば時効完成の有無に関する紛争の種を払拭することができるとの判断から、時効問題についてのこれまでの経緯は秘匿したまま被控訴人の住所地を所管する大阪法務局へ連絡をとり、被控訴人との間に早急に即決和解手続を進めて貰いたい旨の依頼をなした。そこで同法務局訟務部は被控訴人の出頭を求め、即決和解に応ずるよう勧告したが、被控訴人は思いもかけぬ法務局からの呼出しを受けて驚いたものの、右勧告に対しては一ヵ月の考慮期間を求め、その間国立岡山療養所入院当時知り合った友人に依頼して、同療養所へ直接赴き被控訴人の未納医療費に関する債権管理の状態を調査して貰ったところ、昭和三一年七月六日以降三年の間に納入告知その他時効中断事由の存しないことがほぼ確実らしいとの報告を得たので、昭和三六年七月一日付書簡をもって同訟務部に対し即決和解を成立させることは暫らくの間差し控えたい旨回答した。

(3) 昭和三七年一月に至り、前記債務証書で定めた第一回弁済期日が近づいてきたので、被控訴人は土居、小橋両名宛の同月一六日付内容証明郵便で、改めて未納医療費の金額および時効中断事由の存在にそれぞれ疑問があることを指摘して、もし右の点に関する納得のゆく回答が得られれば債務証書に定めた分割払を誠実に履行することにやぶさかではない旨の書簡を送った。右書簡を受取った小橋は、かねてから生活保護法による医療扶助受給者中に、保護基準が低水準であることを理由に一部負担金の滞納を意に介しないかの如き風潮がみられたことに対する反感および事実上自己の所掌する債権について時効完成の事実が判明した場合上司よりその責任を追求されることに対する不安から、意を決して被控訴人の時効完成の主張を封ずるため、次のような手段に出た。

(イ) すなわち、小橋は、被控訴人から右書簡を受け取った直後である昭和三七年一月一七日頃、被控訴人が昭和三四年一二月二一日付で国立岡山療養所長宛送り、同療養所庶務課に保管してあった前記支払猶予懇請の書簡中、二枚目一三行目に「35年1月の支払期限」と記載してあった部分のうち、数字の5を抹消して4と書き直して改ざんし、さらに二枚目本文末尾に「三十四年十二月二十一日」と記載してあった年月日日附のうち三十四年の部分を抹消したうえ、感光複写機を用いて右書簡のコピーを作成し、昭和三七年一月一七日付事務連絡と題する書面に右コピーを添付して被控訴人宛送付したが、同書面において小橋は、国立岡山療養所長より神坂てる代宛の前記納入告知文書の日付が実際には昭和三四年一二月八日であるのに殊更これを昭和三三年一二月八日付と偽り記すことにより、あたかも同年月日付督促に対して被控訴人が昭和三三年一二月中に債務を承認のうえ支払猶予の懇請をなしたかのような虚構の事実を作出し、これによって被控訴人の債務は完全に時効が中断されているからその支払を免れることはできず、もし支払に応じなければ強制履行の措置に出る旨述べた。

(ロ) 右書面ならびにコピーを受け取った被控訴人は、昭和三三年中には未納医療費に関する納入告知その他督促を国立岡山療養所から受けた記憶がないため、再度土居、小橋両名宛の昭和三七年一月二九日付内容証明郵便により右の点に関する疑問を指摘したが、これに対して小橋は折り返し同年二月六日付の書面をもって、右督促の年度に関しては殊更触れず、時効の点に関する回答は前回の書面で尽されているから省略する旨述べた。なお、小橋は右内容証明郵便を受け取った際、被控訴人が督促および支払猶予懇請の年度に関して疑惑を抱いていることを知り、被控訴人を最後まで欺き通すのは困難かもしれないと判断した結果、前記改ざんを加えた書簡の改ざん部分の4を5と書き直して改ざん事実の糊塗をはかった。

(ハ) 前記のとおり、被控訴人は履行期限繰り上げ通知に定められた未納医療費の全額履行期限たる昭和三七年七月二〇日を過ぎても支払をなさなかったため、小橋は訴訟手続によりこれを取り立てる他なしと判断し、厚生省本庁の決裁をとるため上京するなどその準備に従事したが、本訴提起直前頃、前記支払猶予を懇請した被控訴人の書簡は、訴訟においても原告たる国側にとって時効の中断ないし時効利益の放棄を立証するための有力な証拠書類となるであろうことを予測し、ただし証拠書類としては自己が前記のとおり書簡中末尾の年度を削除した関係上同書簡の発着信日時が不明になる虞れがあることから、本来庶務課庶務係職員がその責任において押捺することになっている外来文書の受付印スタンプを無断で用いて、同書簡一枚目右下部分に「国立岡山療養所昭和三四年一二月二四日受付」なるスタンプを押捺したうえ本訴国側指定代理人に交付した。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

(4) 小橋は、本訴事件の原告側申請証人として原審昭和四〇年七月六日の口頭弁論兼証拠調期日に出廷した際、原告指定代理人の尋問に対して甲第一二号証(小橋が前記改ざん等を加えた被控訴人の書簡)は同号証に押捺してある受付スタンプ印日附から明らかなように昭和三四年一二月二四日に受付けたものである旨証言し、さらに被告側申請証人として原審昭和四〇年一〇月一二日の口頭弁論兼証拠調期日に出廷した際被告の尋問に対して、当初は右甲第一二号証の受付スタンプ印は、これが国立岡山療養所へ到達した際庶務係職員が押捺したものである旨証言したが、右証言直後被告より乙第一八号証(小橋が昭和三七年一月一七日付事務連絡書面に添付して被控訴人宛送付した前記改ざん書簡のコピー)を示され、甲第一二号証との喰い違いを追求された結果、前記各証言を飜して右受付スタンプ印は昭和三七年一月一七日以降に押捺したものである旨証言を変更したことは、記録上明らかである。

(二)  小橋の前記各行為は債権管理の正常な方法を著しく逸脱した違法なものであることは明らかである。

なるほど、債権管理官は、国の債権の管理に関する事務を「財政上もっとも国の利益に適合するように処理」すべき義務を負い(債権管理法一〇条)、その一環として、その所掌に属する債権が時効によって消滅する虞れがあるときは時効中断のための必要な措置をとるべき義務を負っているが(同法一八条五項)、もとよりそれは本件の如く不法な手段を弄してまでこれを行うべきことを定めているものでないことは明らかである(債権管理事務取扱規則三〇条一号)。

三、小橋の職務行為の性質

前記各行為をなした当時、小橋は国立岡山療養所庶務課会計係長であったことは前記のとおりであるが、≪証拠省略≫によれば、同人の職務上の地位は債権管理官たる同療養所庶務課長土居和夫の指揮監督に服しつつ、同課長の債権管理事務を補佐する補助職員であったに過ぎないことが認められ、しかも代理債権管理官(債権管理法六条二項前段、五条三項)もしくは分任債権管理官(同法六条二項後段、五条四項)のいずれでもなかったことは弁論の全趣旨より明らかである。

しかし、前記各証言によれば、土居庶務課長はその債権管理事務を全般的に統括しているに過ぎず、他の行政官庁と同様専ら事務処理の便宜に基づき個々の事務に関しては庶務課各職員に事実上その処理を委ねていたが、そのうち未納医療費関係の事務処理は小橋がこれを専任して担当していたことが認められる。このように、行政庁たる債権管理官の内部的委任によりいわゆる代決または専決をなしていた小橋の未納医療費取立に関する事務処理行為は、単なる補佐、受命のそれに止まらず分任債権管理官としての職務執行の実質を備えていたといわなければならない。そして、その職務執行の性質は、一部負担金につきこれを公法上の債権と解するのであればともかく、私法上の債権と解すべきことは前記のとおりであり、国家賠償法一条一項にいう「公権力の行使」にあたると認めることは困難であるから、同法に基づく被控訴人の損害賠償請求は失当といわなければならない。しかし、小橋の前記各行為は民法七一五条の適用上使用者たる国に帰責せしめるに相当な職務内容に属すると解するに妨げなく、結局同条にいう「事業ノ執行ニツキ」なされたものと認めるべきである。そうすると、免責事由につき何ら主張立証のない本件においては、控訴人は被控訴人の被った後記損害を賠償しなければならない。

四、被控訴人の損害

(一)  ≪証拠省略≫によれば、小橋より送付された前記改ざん書簡の写を受け取った被控訴人は、当時未だ改ざんの事実に気付かなかったため、当然のことながら少なからず不安にかられ、さらに本訴が提起されて昭和四〇年七月六日の原審第一回小橋証言から改ざんおよび受付スタンプ印の事後押捺を感知したとき被控訴人は大きな衝撃を受け、同日倉敷簡易裁判所より帰宅した後も昂奮の余り食欲不振と不眠状態に陥ったが、同時に前記改ざんを加えられた書簡は被控訴人が極度の苦衷のもとに書き綴ったものであっただけに、これが信頼する公務員により時効中断事由の偽装工作に悪用されたことに対する憤懣もひととおりのものでなかったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  ところで、控訴人は、被控訴人の受けた精神的衝動は一時的なものであるうえ、身体の健康障害を生じていないから損害の発生はない旨主張するが、身体的、有形的健康障害を伴なわない限り慰藉料請求を許さないとする見解は当裁判所の採用しないところであり、本件においては、前記の如く被控訴人は食欲不振と不眠状態に陥ったのであるから神経障害を生じたと解しうる余地もあり、いずれにしても損害の発生がないとすることはできない。

(三)  もっとも、≪証拠省略≫によれば、被控訴人は昭和二四年一一月療養生活に入って以来、国立岡山療養所内に結成されていた「王山平和を守る会」や「患者自治会」のメンバーとして患者の権利を守る運動に積極的に参加し、その過程において一部負担金が医療扶助受給者の生活状態を無視した不当に苛酷なものであるとの認識を深めていったため、たまたま同療養所で従来から生活扶助と医療扶助の全額併給を受けつつ肺結核の療養生活を送っていた朝日茂が、生活扶助廃止、医療費一部負担に保護変更決定され、これを契機として保護基準が著しく低水準であることの違法性を主張して行政訴訟(いわゆる朝日訴訟)を提起した際も、カンパを投ずるなど積極的にこれを支援していた関係上、昭和三二年三月保護打切り措置により同療養所を退院した後もあえて未納医療費について自発的に納入もしくは照会するなどの措置をしないまま二年余を経過したが、昭和三四年一二月八日前記の如く突然同療養所より母てる代宛未納医療費の督促を受け、当時は未だ定職もなく一家の生活状態も依然として苦況にあったので甚だ困惑し、一時は可成りの日時が経過していることから或は消滅時効にかかっているのではないかとの希望的観測を抱いたものの、その時は昭和三一年頃未納医療費につき支払期限猶予を申請する書面を同療養所宛差し入れた記憶が存したため(後の調査により右事実は存在せず記憶違いであったことが判明した)、これがあるとすれば未だ時効は完成していないとの友人の意見により、止むなく現時の窮況を切々と訴えた前記支払猶予の書簡を同療養所宛送ったことが認められ(る)。≪証拠判断省略≫

右事実によれば、被控訴人には未納医療費支払をめぐるかなりの特残事情が存したということができるから、通常の社会人に比してその受ける精神的衝動の度合は或る程度大であったことが推認されるが、通常の社会人が本件の如き不法行為を受けた場合でも、なお相当の不快ないし憤懣を感じるであろうことは充分推認しうるところであり、その限度において被控訴人の受けた精神的苦痛は法律上保護に値するものといわなければならない。

(四)  そこで、慰藉料の額について判断する。被控訴人の被った精神的苦痛は前認定のとおりであるが、これと本件の場合通常の社会人が受けるであろう苦痛の程度および本件不法行為がすべて故意に基づくものでその違法性が強度であることならびに訴訟外において小橋もしくは控訴人より被控訴人に対する陳謝の意が未だなされていないことなど諸般の事情を考慮すると、控訴人の支払うべき慰藉料額は金四万円をもって相当と認める。

(五)  被控訴人は慰藉料請求のほか、別紙(一)記載のとおりの謝罪状の交付を請求しているが、民法は財産的損害、精神的損害の区別を問わず損害賠償の方法として金銭賠償の方法を原則とし(民法七二二条一項)、例外的に名誉棄損の場合にのみ原状回復の方法を認めているのであるから(同法七二三条)、被控訴人の右請求が、その被った精神的苦痛を回復するための方法としてこれを求めるのであれば明らかに失当というべきである。また、仮に名誉回復のためにこれを求めるものであり、かつそこにいう名誉が人格的価値に対する社会的評価としてのいわゆる客観的名誉ではなく、主観的評価としてのいわゆる名誉感情であったとしても、前記改ざん行為等から受ける感情は、医療費支払いを免れないとの不安ないし不快およびかかる不正な手段を弄してまで医療費の取立をはかろうとする公務員に対する憤懣ないし軽蔑であり、自己の人格に対する主観的評価が害されたと感ずることはないのが通常であり、被控訴人の場合も同様であったことは前認定事実より容易に推認しうるところである。したがって、いずれにしても右請求は失当といわなければならない。

五、不当利得返還請求について

昭和三六年三月二三日被控訴人の母神坂てる代が国立岡山療養所職員に対し、被控訴人の未納医療費の一部として八二六円の支払をしたことは当事者間に争いがなく、てる代が被控訴人の代理人若しくは使者としてこれを支払ったものでないことは前に認定したところである。

ところで、≪証拠省略≫によれば、国立岡山療養所では従来から入院患者の身元引受人は入院患者の医療費について保証の責を負っているとの考えから直接身元引受人に医療費の請求をする取扱をしていたことが認められる。しかしながら≪証拠省略≫によれば、被控訴人が日本医療団早島光風園に入院する際、神坂てる代が同園院長宛提出した身元引受書には「患者身上にかかる一切の事項は自分に於て引受申すべく本人退園及万一死亡等の場合は速に処置致し、御迷惑はおかけいたしません」との記載がなされているのみで、医療費未納の場合の保証に関する明確な文言は存しないことが認められ、前記国立療養所入所規定第四条(様式第二)により提出が義務づけられている身元引受書の文面も大略同様である。そして、被控訴人が早島光風園へ入院した際は全額医療扶助を受けており、一部負担金の支払を課せられるようになったのは昭和二七年一二月からであったことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、国立岡山療養所においては医療扶助受給者が入院する際の前記身元引受書は、全額扶助、一部負担の区別なしにこれを身元引受人より徴していること、また≪証拠省略≫によると、厚生省当局も入所時の身元引受人を保証人と解していないことがそれぞれ認められるから、これらの点からすると神坂てる代が本訴医療費について保証人たる地位にあると認めることはできない。

そうすると、右てる代は第三者として被控訴人の債務を弁済したことになるところ、身元引受人であり、被控訴人の母であるということのみで弁済につき利害の関係を有する者ということはできず、他に法律上の利害関係があることについて控訴人の主張立証はない。そして≪証拠省略≫によると、てる代のした右弁済は被控訴人の意思に反するものであることが認められ、これをくつがえしうる明らかな証拠はない。してみると、右支払は第三者の弁済としての効力を生ずるに由ないから、非債弁済というほかなく、これにより控訴人は八二六円相当の利得をえ、てる代は同額の損害をこうむったということができる。そして、≪証拠省略≫によれば、被控訴人は昭和四〇年一〇月一日てる代から同人が控訴人に対し有する右不当利得返還請求権の譲渡をうけたことが認められ、反対の証拠はない。よって、控訴人は被控訴人に対し右不当利得金八二六円およびこれに対する控訴人が右弁済を被控訴人の意思に反すると知った後である昭和三六年三月三一日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による利息を支払う義務がある。

六、結論

そうすると、被控訴人の反訴請求中控訴人に対して、不当利得金八二六円とこれに対する昭和三六年三月三一日以降年五分の割合による利息、ならびに慰藉料金四万円とこれに対する原審における第二回小橋証言のなされた日の翌日たる昭和四〇年一〇月一三日から支払ずみまでの民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当として認容し、その余は失当として棄却すべきである。

第三、むすび

以上によれば、控訴人の各控訴はいずれも理由がなく棄却すべきであるが、被控訴人の反訴請求は前記認定の限度で理由がありその余は失当であるから、これと異なる原判決は変更を免れず、結局右限度内において被控訴人の請求を認容し、その余は棄却すべく、民事訴訟法三八六条、九六条、八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 五十部一夫 裁判官 東孝行 大沼容之)

〈以下省略〉

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